創業者「西見 茂」
「何ごとも人のために」 今も受け継がれる創業の精神。
西見 茂の経歴
西見 茂氏は、明治28年5月5日に筑後平野(福岡県)を望む、みのう山麓の旧家の長男として生まれました。
福岡と東京で10年以上教壇に立った後、大正12年3月日本大学卒業と同時にモナス出版者編集長に就任。
大正14年9月に立命館大学出版部を創立すると共に西園寺公望氏の御用を務め、昭和3年4月立命館大学出版部理事に就任。
同大学総長秘書、西園寺公望氏秘書を兼任。
立命館退職後、昭和11年に孝道学園(私塾)を設立。
昭和15年ベローズ研究所を設立。
昭和23年に株式会社鷺宮製作所を設立し社長に就任しました。
創業者の思い ベローズ制作研究
昭和15年、西見茂氏は教育者でありながら、45歳の時に成層圏を飛ぶ飛行機の自動酸素調節器の心臓部をなすベローズの国産を目指し研究を始め、昭和19年10月に完成させました。
工場設立の目的はパイロットの命を救うという人道主義からでありました。
戦後、当初は進駐軍の設営用のベローズ制作を行っていましたが、日本の産業復興の中、ベローズの利用価値は急速に高まり、鷺宮製作所は予想もしなかったスピードで発展を遂げることになります。
挑戦の道のり
昭和23年4月に株式会社鷺宮製作所設立後、西見茂氏は、産業革命は自動制御機器によってなされると確信し、ベローズ応用の自動制御機器の発明に着手し、数百種の発明・開発に成功することができました。
また、産業の復興が年をおって急速な発展を遂げ、自動制御機器は性能の高度化、品質の均一化、広範囲の品種の開発等が求められ、サギノミヤも時代の要求に対処するため、海外拠点の設立や設備の拡充を行ってまいりました。
経営の柱
第二次世界大戦終戦直後の混乱の最中、産業界は困窮しており日本の再建など思いもよらぬ有様でした。
民主主義の考えから権利を主張する労働者、自己の利潤の追求で不当に扱う経営者、産業界は危機的状況となる中、
「会社は公器であり、労働者だけのものではなく、経営者だけのものでもない。事業の利潤には限度がある。経営者の取り分にも、労働者の取り分にも限度がある。この三つを会社の発展に結びつけ、三者に程よく案配されるのであれば、喧嘩は起こらない。」
と考えた西見茂氏は、資本に対する利潤を得るという一般的な設立の目的を「会社に関わるひとの幸福」という目的に置き換えて、経営の柱としました。
人づくりの先駆者
信念は「利潤を追求する企業に非ず全ては、全従業者の幸福にある。あらゆる条件を具備した人間を形成するにある。」
会社経営の基本を「全従業者の幸福」一本に絞り、生甲斐のある労働、生活安定の賃金制度を樹立し、個人はデモクラシーに出発し、会社の全従業者は全員の調和に生きるよう努力し、重役はひたすら全従業者の幸福の向上を無上の幸福と喜びとしました。
全従業者は自ら起って、会社の繁栄のために心魂を打ち込み、個人個人の責任を果たすなど、全従業者が一致団結する姿は、当時では、世に稀に見る近代的新経営法を実践していたと言えます。
創業者に学ぶ
教育者であった創業者の西見茂氏は、人道主義からベローズの製作に没頭し、会社設立後は「会社とは従業者各人が幸福になるために集う場であり、全従業者の幸福に役に立つか否かが経営の基準である」という創業の精神を遺してくれました。
当社の経営理念『全従業者の幸福の創造』は、この創業の精神を集約したものです。そして社是は経営理念を実現させるための指針です。
サギノミヤの経営理念と社是は全従業者のアイデンティティーとも言えるものです。この訓えを引き継ぐ私たちは、「何ごともひとのために」を心掛け、社会に貢献できる企業の一員として日々成長できるよう邁進します。